だいぶ間があいてしまいました。
K-POPの歴史1からの続きです。
BoAの成功を見てSMの戦略が中国から日本へ移った
韓国で人気絶頂の東方神起も日本では新人と、小さなステージから活動開始
マットだけが敷かれた場所での公演も!
日本で売れるまで2年、地道に活動して武道館の単独コンサートを実現
デビュー4年にして東京ドームに進出
2PM
BIGBANG
KARA
少女時代
2NE1
この司会の女性は2NE1のメンバーで、Mステに出たときの話をしてます
「日本にビジュアルバンドがいっぱいいるのに攻めた髪型をしたらジロジロ見られた」
(その髪型は攻めすぎやろ😅)
K-POPのアジア進出 その先頭は?
Rain(ピ)
きっかけはドラマ「フルハウス」
2004年末 香港でRain(ピ)の違法な写真が拡散し、大人気に
ドラマはタイ香港台湾などアジア全域に輸出され大人気に
その状況を知って香港に進出 そして約2年アジアを巡回公演した
タイではJYParkも驚くほどの超VIP待遇
MTVの受賞でグランドスラム
2006年TIME誌が選ぶ世界で最も影響力のある100人に選ばれる
Rain(ピ)の大成功のあとK-POPはアジア全域に積極的に進出
2010年 2NE1がフィリピンに進出
2011年 少女時代はシンガポール、
2012年 2PMはタイに
そしてインドネシア
インドネシアでは Eru(イル)の「黒い眼鏡」が大人気
インドネシアはすでにK-POPが普及し始めていた
Eruはアイドルではないので親しさとスキンシップの線楽をとった
長期滞在して現地の歌手のように活動した
●インドネシア初の韓国語アルバム発売、8つの地上波音楽番組に出演
●外国人歌手で初めて地上波音楽番組で1位
●韓国歌手として初めてインドネシアドラマに出演
【MV】 イル(Eru/이루) 「黒い眼鏡(까만안경)」
2014/05/30
以上が第9回のアーカイブKの内容でした
まとめーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1990年末〜2000年代初頭
韓国ドラマのアジア輸出によってK-POP(当時は韓流)は拡大した
1997年
中国:MBCドラマ「星に願いを」が大ヒット→主役アン・ジェウクの曲「Forever」大ヒット
台湾:CLONの「都市脱出」を台湾のYukiがリメイクして大ヒット
1998年
韓中国交正常化6周年の記念公演でNRGが中国に進出
NRGが中国で最初に成功した韓流グループとなった(韓国アイドル界第1世代)
CLONから始まったコリアンミュージック旋風は
夏に入って本格的に火がつき始めDIVAや女性歌手にも引き継がれた
Fin.K.L、S.E.S.、Baby V.O.Xなどヨジャグルも大人気に
CLONの成功を見てSMのH.O.T.が台湾で活動開始、大人気に
2000年
SMのH.O.T.が中国に初進出し、大成功(第1世代アイドルのレジェンドに)
次の目標は日本、SMはBoAを発掘して韓国で成功した後に日本進出
2002年
BoAが「Listen To My Heart」で大ブレイク
BoAの成功を見てSMの戦略が中国から日本へ移った
2004年〜2005年
香港でJYP所属 Rain(ピ)の違法な写真が拡散し、大人気に
ドラマはタイ香港台湾などアジア全域に輸出され大人気に
Rain(ピ)の大成功のあとK-POPはアジア全域に積極的に進出
2005年
東方神起が日本デビュー、地道な活動で4年後にドーム級の人気に
2009年〜第2次韓流ブーム
K-POPの後輩歌手も日本市場で頭角を表し始める
BIG BANG、KARA、少女時代、2NE1 などが大人気
2012年〜
インドネシアでは Eru(イル)の「黒い眼鏡」が大人気
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と、番組の内容はここまで
2010年ごろ日本でも第2次韓流ブームが起こったことは記憶に新しいですが
そのブームが急激に収束した原因には触れていません。(そりゃそうか)
就任当初は親日的と思われた李明博も政権末期になり支持率は低下
反日行動で支持率を回復しようとアピールするための暴挙でした
しかも天皇陛下に謝罪を求める発言は多くの日本人の逆鱗に触れました
それまで民間レベルでの友好的だった日韓関係を悪化させた彼は
結局、大統領の任期が終わった後に収賄罪で懲役17年が確定…
現在も日韓関係は最悪と呼ばれるほどに悪化したまま。
民間レベルでは友好的な関係が多いことは救いではありますけど
日韓だけでなく中国まで絡むガルプルは
政治的な影響を受けなければいいなと願うばかりです。
次回予告:
・Superjuniorの話
・JYPのWonderGirlsがアメリカ進出の話
そしてTWICEが登場!
(しかしいつ更新されるか不明…😅)